特産

−火打金−

火打ち金吉井の火打金は江戸時代に始まり、武田信玄配下の子孫であった近江守助直という刀鍛冶が火打金を伝え、その流れを受け継ぐものが、町内に多く生まれました。
 中山道の姫街道を利用する人々が吉井宿で道中土産に「火打金」を買い求め、江戸で評判となりました。特に中野屋一族の製品はブランド品で、鋼に「上州吉井中野屋孫三郎」「上州吉井中野屋女作」などの吉井町物産調べは、火打金の製造数、大中小合わせて70853丁の記録が残っています。
 吉井町の火打金も、国産マッチの普及と信越線の開通などにより、明治30年ごろには製造されなくなりました。